新聞奨学生の死 〜もうどうでもいいから逃げたい〜

新聞奨学生を続けて一年が立とうとしていた。
貯金できるはずだった計画は頓挫し、全く貯まっていなかった。

13万(10万)もらえるはずの給料は実際には6万も無かった。
賞与で6万もらった翌月、翌々月には 営業控除という名目で-3万円が計上されていた。

つまり賞与はもらえていないし、給料も聞いていた料はもらえていない。
拡張料も後で数千円もらえるはずがついに貰う事はできなかった。

貯金するなど、夢のまた夢だったのだ。
貰えぬ給料ならばと、こちらも仕事はできなくなっていた。故に給料面での改善は何も行われなかった。

貯金ができないので、奨学金だけでは足の出る学費は調達が不可能となり、事実上の次年度以降の進学は不可能になった。

こうなればなんとかして学費を調達したいと考え、国民金融公庫をはじめとした教育ローンに10数件申し込んだが、悪あがきでしかなかった。両親の経済状況は悪く、窮地の学生の将来を救ってくれるような金融機関はあるはずもなかった。



一年目にして、奨学生を断念。辞める事を決意する。


しかし、二年制の契約をしているため、一年目に辞めると中途返金が発生する。
金額にして40万円。先に書いたように経済状況の悪い家庭である。準備できるはずもない。
せめてその金額だけでもローンをと思ったがやはり、悪あがき。


辞めたいのに 辞められない。


学校にはもはや行けもしないのに、奨学生は続けなければならない。
泣く泣く次年度へ進むしかない。

高いビルの上や、駅のホーム。深い池。
死の影が付きまとう。

新聞奨学生制度に対する怨嗟・憤怒をつづった遺書を書いてみたり、カッターで腕を切るふりをしてみたり、川に靴を置いてみたり、

自殺の真似事まではやった。
それでも死ぬに至る勇気は出なかった。


この頃には、電卓が触れない、他人と正常な会話ができなくなっていた。