幻覚好きの人類へ
古来より人間は詩を詠み、音楽を奏で、人形を作り、舞いを踊り、現実にいない存在を作り続けてきた。見たものはそれを見て感動し、涙を流し、歓喜の表情を浮かべた。
人々は物語を欲している。
現実に存在する人間までもが人々が欲する物語の中に取り込まれる。
世界的大スターの死、凄惨な事件、一国を預かる宰相ですら、劇場の登場人物となるのだ。
mixiはさしずめ、様々な物語の開演を知らせるシネコンの案内場ってところだろうね。
歴史学者は文献の端端から歴史上の人物の物語を想像する。考古学者は遺跡や化石から古代の情景を想像する。しかし、その幻想を眼球の網膜を通して知覚する事は不可能なのだ。
だからこそ、物語が必要とされた。物語を通してかつて実在したとされる人物を幻視するために。
物語を見る事で得られる感覚は多種にわたるが最終的に快感へと帰結する。
言ってしまえば幻覚を見て快楽を得ようとする行為なのだ。
最近自転車に良く乗るようになってきて思う。余り考えなくても、何かに夢中になれる自分がいる。物語も幻覚も、昔ほど必要じゃなくなってきた。
パーソナリティと密接に絡み合い、混ざり合い、目の回る思いをしながら過ごしてきたのが10代。物語はかかせない物質で、常に幻覚を追い求めていたハードコア・ジャンキー。
幻想や幻覚が枯渇しはじめ、一定の形状へと収束しだした20代後半。
10代と比べると、双方のスタンスが固まりはじめてきた。
それがどんな形へと成長するのかはまだわからない。
ただ、今はそれをこんな文章という形で遺しておこうと思うのみ。
もし、自分が将来何か表現する事があるとして、その時に必要になるかもしれない。
アイスクリームの味を決定的にするバニラ・エッセンスのように。
幻覚好きの人類へ。
これからも理想を追い求めてくれ。
現実にあえぐ人々の心にいくばくかの安らぎを。
最終章 新聞奨学生からの脱出
新聞奨学生を辞めると 即金で借りた金額を返金しないといけない。
ここからは両親にまかせる事にした。
即金で返金はできない。
だが分割で返す事はできる。
交渉に次ぐ交渉の末、なんとか分割で返せるような形にもっていけた。
この流れの中で、帰郷する事になった。
なったというか、もう販売所の仕事の引継ぎは終わったので、自主的に帰郷した。
帰りの飛行機、鹿児島空港に着き、バスに乗る。
バスから地元のラジオ番組が聞こえてきて、山と川ばかりの風景を見て
涙が止まらなかった。
何故こんな事になったのだろう。
日も暮れて街の明かりさえない暗い山道、コンビニの無い山の中。黒電話。
昨日まで東京で、あの華やいだ世界にいた自分が
今は携帯の電波も届かない実家にいる。
寂しくて、寂寥感で胸がいっぱいだった。
今でも実家に帰ると同じような思いに囚われて苦しくなる。
同級生からの紹介の仕事は精密機器を取り扱う某K企業の工場勤務の仕事だった。残業も多くきつい仕事だといわれている。
面接には普通に受かった。正直に奨学生借金がある事を話した事がある意味功を奏したのかもしれない。
仕事はきつかったが、新聞奨学生の人権侵害・殺人的な仕事に比べれば天と地の差があるくらい楽だった。
ある種の地獄を見たからこそ、この程度はなんでもないということなのだろう。
連休があって、たっぷり眠れる事が嬉しかった。体を休める事ができるのがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。
必死の仕事の甲斐もあって、120万あった借金は6ヶ月で全て返せた。
毎月20万はぶっこんだことになるんだろうな。
期間限定社員で働いたのは一年。
余った金で、車の免許をとり、当時の先端機器だったBSデジタルチューナーも親に買ってあげた。
そして失業保険が切れるまでは引きこもった。
終章2 これは独りごとだけど、腎臓ってやつがね・・・
逆にほっとした。
今度こそ辞めてやる。もう奨学会の連中には騙されたくない。
奨学会からも電話が来た。「なんとか頑張らないか」
こんなにむちゃくちゃな状態まで追い込んでおいて、そんな事を言われてももはや信用など何もなかった。
そして奨学会の職員の声が職員ではなく借金取りのものへと変貌していった。
「金借りたら返すのが当たり前だろ」
「金返せよ」
「お前みたいなのが他の仕事したってな、金返せるわけねーんだよ 奨学生やれよ」
さすがに腎臓云々言わない辺りが助かるなどと考えた。
頑張れと言った口から出る人格否定の言葉の数々。
誰の為の新聞奨学生なんだろう!!
「奨学」されているのか自分達は!!?
こういう場合、自己破産できるのだろうかなどと考えていた
そんな中、高校時代の同級生で先に奨学生を辞めたやつから連絡が入る。
「地元で今期間限定社員募集中で かなり給料いいですよ!奨学生の借金すぐに返せるから帰っておいでよ!」
どうしようもなくなっていた自分に一筋の光明が灯った瞬間であった。
終章1 新聞奨学生の死
おそらく正常な判断能力はこの時点では全く無かったと思われる。
次年度も継続して進学するという形を取る事になるので、奨学会から次年度の奨学金の振込み通知が来た。すぐに振り込む手配をとるのだから電話で確認したいとのこと。
何もかもわからなくなっていた自分は「はい、わかりました」と言ってしまった。
つまり、事実上の奨学金80万上乗せ。総計120万の借金である。
やめられないとまらない。しょうがくせい。
仕事は全くおいつかない。周りの学生は三日で辞めていなくなる。
夏前の時点で20人近くの学生が入ってきては逃げ出していった。
借金という鎖で縛られ、逃げられない自分はただただ日々を消化するしかなかった。
一日たりとも心休まる日々は無かった。
月2日の休みの日に配る代理配達員(代配)員も2時から朝の9時まで配達をしても終わらないわけで、誰がやっても無理な仕事量を学生・専業は押し付けられていた。
ついに自分にも引導が渡されるときがきた。
所長に呼ばれ
「お前、仕事できないなら やめて異動しろ」
給料は3ヶ月目の時点で1円ももらっていない。
やむにやまれず両親から数千円の仕送りをもらっていた。
新聞奨学生の死 〜肉体と精神の荒廃・そして〜
都内E店へと引越しも終わり、新生活が始まった。
もう8割方は辞める方向で考えていて、このE店での生活が厳しいようなら本当に実家に帰るつもりだった。
「一応異動するけど、これでだめそうなら今度こそ辞めさせてくれ」
まだ学費の納入等は行っておらず、今なら40万円の返金だけで済む時期だった。
両親にも承諾をもらっていた。
異動先の販売店は更に最悪だった。前年度までは新聞社直営店で給料・休暇等はパンフレット通り、学生に配慮した優良店だった。しかし、本年度からは新たに販売所を買い取った新オーナーが店の学生を管理する事になった。
休暇は月2日。食事は賄いがつくはずが、途中から食パンが置いてあるだけという有様。シャワーは壊れて使えないのに修理もロクにやらない。10人で分割していた区域をリストラして6人に振りなおすという暴挙に出ていた。
一般企業では考えられない対応である。
噂によると自分が来る以前の学生は皆仕事のボイコットを起こし、全員異動させられたという話だ。
仕事について一週間。学生が5人全員辞めた。
自分ももう無理だと感じていて、 辞めたい旨を親に伝えた。
ところが、今になって両親は「辞めてもお金が用意できない」と言い出した。
話が違う。1週間前には多少あてがあったらしいが、どうやら別な事に使ってしまったらしい。
電話口で激昂し、わけのわからない事を口走って
「俺今から首つって死ぬわ ビルから飛び降りて死ぬわ!」と行って電話を切ったのを覚えている。
※無論、40万用立ててもらった後にはなんとかして返すつもりはあった
次の日、まだ自分は生きていた。
仮に自分が死んでも、借金は消えないからだ。
債務は当然両親へと向かうわけで。。
新聞奨学生の死 〜異動を試みる
もう最悪だった。最悪を通りこして どん底だった。
両親には何度も辞めたい旨を伝えた。
しかし、「どうにもならない」と帰ってくるばかりだった。
奨学会が両親に「人間不信になっているようだから励ましてやってほしい」と言ったらしい。
歯の浮くようなセリフで励ましの電話が何度もきた。
怒りを通り越して電話中に言葉が過ぎる事も多々あった。あれ依頼「死ね」という言葉は自分の中では空虚な表現にしか感じれなくなった。
奨学会からも歯が浮きすぎて前歯飛びそうな勢いで励ましの電話がきた。
励まされてる場合じゃない、こっちは生命の危機だ。
K店所長に異動を申し出る事にした。
せめて学校の近くの販売所に異動できれば、前よりはましな生活になるかもしれない。
そう思ったから。
所長の言った言葉が忘れられない「お前の一年間やってきた事はめちゃくちゃだ」
そっくり言い返したい。
そもそも、学校に近いT店に配属されるはずが、K店にされた時点でおかしかったんだ。給料も条件も、住環境も 聞いてきた内容とは何もかもが違う。
めちゃくちゃにされたのはこちらのほうだ。
そして、都内のE店へ異動する事となる。
新聞奨学生の死 〜もうどうでもいいから逃げたい〜
新聞奨学生を続けて一年が立とうとしていた。
貯金できるはずだった計画は頓挫し、全く貯まっていなかった。
13万(10万)もらえるはずの給料は実際には6万も無かった。
賞与で6万もらった翌月、翌々月には 営業控除という名目で-3万円が計上されていた。
つまり賞与はもらえていないし、給料も聞いていた料はもらえていない。
拡張料も後で数千円もらえるはずがついに貰う事はできなかった。
貯金するなど、夢のまた夢だったのだ。
貰えぬ給料ならばと、こちらも仕事はできなくなっていた。故に給料面での改善は何も行われなかった。
貯金ができないので、奨学金だけでは足の出る学費は調達が不可能となり、事実上の次年度以降の進学は不可能になった。
こうなればなんとかして学費を調達したいと考え、国民金融公庫をはじめとした教育ローンに10数件申し込んだが、悪あがきでしかなかった。両親の経済状況は悪く、窮地の学生の将来を救ってくれるような金融機関はあるはずもなかった。
一年目にして、奨学生を断念。辞める事を決意する。
しかし、二年制の契約をしているため、一年目に辞めると中途返金が発生する。
金額にして40万円。先に書いたように経済状況の悪い家庭である。準備できるはずもない。
せめてその金額だけでもローンをと思ったがやはり、悪あがき。
辞めたいのに 辞められない。
学校にはもはや行けもしないのに、奨学生は続けなければならない。
泣く泣く次年度へ進むしかない。
高いビルの上や、駅のホーム。深い池。
死の影が付きまとう。
新聞奨学生制度に対する怨嗟・憤怒をつづった遺書を書いてみたり、カッターで腕を切るふりをしてみたり、川に靴を置いてみたり、
自殺の真似事まではやった。
それでも死ぬに至る勇気は出なかった。
この頃には、電卓が触れない、他人と正常な会話ができなくなっていた。