2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

終章1 新聞奨学生の死

おそらく正常な判断能力はこの時点では全く無かったと思われる。 次年度も継続して進学するという形を取る事になるので、奨学会から次年度の奨学金の振込み通知が来た。すぐに振り込む手配をとるのだから電話で確認したいとのこと。何もかもわからなくなって…

新聞奨学生の死 〜肉体と精神の荒廃・そして〜

都内E店へと引越しも終わり、新生活が始まった。 もう8割方は辞める方向で考えていて、このE店での生活が厳しいようなら本当に実家に帰るつもりだった。 「一応異動するけど、これでだめそうなら今度こそ辞めさせてくれ」 まだ学費の納入等は行っておらず、…

新聞奨学生の死 〜異動を試みる

もう最悪だった。最悪を通りこして どん底だった。 両親には何度も辞めたい旨を伝えた。 しかし、「どうにもならない」と帰ってくるばかりだった。奨学会が両親に「人間不信になっているようだから励ましてやってほしい」と言ったらしい。 歯の浮くようなセ…

新聞奨学生の死 〜もうどうでもいいから逃げたい〜

新聞奨学生を続けて一年が立とうとしていた。 貯金できるはずだった計画は頓挫し、全く貯まっていなかった。13万(10万)もらえるはずの給料は実際には6万も無かった。 賞与で6万もらった翌月、翌々月には 営業控除という名目で-3万円が計上されていた。つま…

新聞奨学生の死 〜あいつ死んだよ〜

学校へは数週間に一度程度通う(といっても体調の無理をおして行くも内容が理解できずしばらくして帰るような状態)形だった。数ヶ月ぶりに会った新聞奨学生の級友がいた。 元気だった。なんでも、二年目からは奨学生を辞めて通えるようになったらしい。今現…

10年前 新聞奨学生の死 〜迷宮の中〜

肉体と精神のキャパシティは破綻寸前だった。 口からは「いやだいやだ・・・」と自動的に繰り返され、目からは涙ばかり出てくる。ああ自分はだまされたんだ と気付き始めていた。級友と冗談で「俺らは新聞奨学生っていうか新聞奴隷だな」 とよく話した。その…

10年前 新聞奨学生の死 〜はじまった日々〜

頑張れば、そのうち仕事にも慣れてくるかもしれない。 そう思い自分を慰め、奮い立たせた。 頑張って一年、二年頑張って卒業するんだ。そして就職すれば、全てが報われる。そう思いながら仕事に学業に勤しんだ。とにかく眠い。 睡眠時間がはっきり言って足り…

10年前 新聞奨学生の死 〜実際の仕事の条件が・・・〜

だんだんと仕事の条件がわかってきた。わかるにつれて、これまで奨学会で説明されていた内容とは程遠い事がわかりはじめた。「どういう事なんだ・・・」動揺・不安はとまらなかった。・紹介されていた仕事内容 ↓ 実際の仕事内容 という形で表記する。 ■仕事 …

10年前 新聞奨学生の死 〜配属が決まる!〜

説明も一通り終わり、いよいよ配属店が決まる運びとなった。学校に行く為には余り遠い店舗では学業に支障が出るので、近い店を希望。自分達は奨学生の中でも一番早い組なので、一番先取りができると聞いているので、最低でも都内の販売店に入れるはず。そう…

10年前 新聞奨学生の死 〜どこの店に配属になる?〜

奨学会本部での説明会がはじまった。 労働時間、給与、休日。パンフレット通りの説明。■仕事 新聞配達、集金、付帯業務(チラシ作り)■営業自由。契約をとれたらその分月拡張料がつく。■住環境 1Rアパート。UB・フローリングのきれいな部屋。■給与 月13万…

10年前 新聞奨学生の死 〜そして上京〜 2

月日は過ぎて、3月。 ついに新聞奨学生として上京する事となった。 飛行機のチケットを貰い、家で見送りをしてもらい、母方のじいさんに空港まで送ってもらった。 あの頃弟はまだ高校生。妹は中学3年生。父方のばあさんはぼける前だったっけ。「それじゃ、…

10年前 新聞奨学生の死 〜あの夏の日〜 1

■ある新聞奨学生の就学から死までを思い出して書いてみる。書く事で色々と精神的に楽になれるらしい。新聞奨学生という制度がある。 学校に通うための学費を出してくれる代わりに一定期間新聞配達業に就くというものだ。一年制の学校なら一年、二年制なら二…