10年前 新聞奨学生の死 〜あの夏の日〜 1

■ある新聞奨学生の就学から死までを思い出して書いてみる。書く事で色々と精神的に楽になれるらしい。

新聞奨学生という制度がある。
学校に通うための学費を出してくれる代わりに一定期間新聞配達業に就くというものだ。

一年制の学校なら一年、二年制なら二年。四年制なら四年。要は学校に行く間は新聞配達をやらなければならない。学費は、出してくれるが中途でやめた場合には一括返済しなければならない。元々お金の無い学生なわけで、そんな金は出せるはずがないわけで、仕事と学業の両立ができなくなっても、辞めるに辞められない。現代の奴隷制度といわれている。

何故、自分はあの制度に騙されてしまったのだろうと、10年以上経った今でこそ思う。

最初は高校時代の友人からの一言だった。
「俺○○に進学するけど、金ないから新聞奨学生になる」
なんだそれ?と思った。

つい先日両親より「進学させられるだけの経済的余裕が無い、どうしても進学したいなら一年でも二年でも何か仕事をして稼いで学校に行ってくれ」と言われたばかり。



高校生当時の自分は焦っていた。クラスの級友が普通に進学していく中、自分だけが一年も二年も進学が遅れるのが嫌だった。

そんな中新聞社が学費を出してくれるというわけだ。これは利用するしかない。
さっそく説明会を聞きに行った。

まずは奨学会担当の個人三者面談。傍らに母親、前に担当の引退間近のお爺さん社員。
色々な事を聞いた。「パンフレット通りの条件で働けますか?」
担当の人は「うまくいかない場合もあるが、条件通りになるように常々言っている」との事。担当のお爺ちゃんはきさくな人で信用できた。

後日の全体説明会会場は鹿児島市内。新聞社にゆかりのある施設の会議室のようなところだった。関東奨学会の事務長さんとも話ができて、就学してからの生活がこと細かく説明された。毎月の給与がいくらで、賞与がこれだけ出るのだから、貯金もできるとまで言われた。

若い自分にはとても有利な条件に思えた。新聞配達という仕事はやった事はないけども、こんな自分でもできそうな仕事に思えた。学業と新聞配達の仕事は両立できるとあの時点では思っていた。

更に、後日の学校では、担任の教師が「お前の先輩で奨学生に行った奴がいるけど結構キツいようだぞ」と教えてくれた。

しかし、それでも進学したいという気持ちは抑えられず、この言葉を受け流してしまった。
ここで思いとどまっていれば、別な可能性も自分にはあったのかもと思う。後悔先に立たず。