10年前 新聞奨学生の死 〜はじまった日々〜

頑張れば、そのうち仕事にも慣れてくるかもしれない。
そう思い自分を慰め、奮い立たせた。
頑張って一年、二年頑張って卒業するんだ。そして就職すれば、全てが報われる。

そう思いながら仕事に学業に勤しんだ。

とにかく眠い。
睡眠時間がはっきり言って足りないのだ。

毎日足元がふらふら、頭はボーとしていた。授業を受けても眠いし、理解できなかった。
それでも、なんとかして学校には行き続けた。
級友に同じく新聞奨学生が多く在籍していたが、早くも姿を見なくなったものが現れ始めた。

授業を受け続けた。しかし、眠い。何度も聞いているが、ついに一言も理解できないままその日が終わった事もあった。課題を出されたが、アパートの部屋内で製作をやろうとしても、何も浮かばないようになっていった。

睡眠不足は加速度的に威力を増していき、電車で始発と終点を何度も往復する事が続いた。当然、夕刊には遅刻である。
朝も睡眠が足りずに寝坊する事があった。集金の指定時間が深夜に及び、
1〜2時間程度しか眠れないようなときなどは高確率で寝坊してしまった。
アパートのドアを叩かれ起こされる。ドアを叩かれる音で驚きすぎて心臓の動機が止まらなくなった。今でもドアを叩かれる音が大嫌いだ。


夏を過ぎる頃、学校に行っても内容が理解できなくなっていた。
寝るのも起きるのも苦痛でしかない日々。
学校に行く事はもはや肉体的にも精神的にも不能となってきていた。

その頃携帯電話を始めて契約した。級友から「ずっと休んでいるが大丈夫か?」と心配する電話がかかってきた。

本当は色んなことを勉強したいし、級友と会いたい。
磨いたスキルで就職するはずなんだ自分は。


そう思いながらも、自らの精神の混乱は止まなかった。

体は常に痛いし、常に眠かった。涙も止まらなかった。


「俺はいつからこうなった?!」
「どうしてこうなった?」
「ナニが間違っていた?」

いくつもの問いがココロの中を駆け巡った。
やり場のない悲しさと苦しさと怒りが常に心を捉えて話さなかった。

いつになったらこの苦しみから解放されるのだろう。