10年前 新聞奨学生の死 〜配属が決まる!〜

説明も一通り終わり、いよいよ配属店が決まる運びとなった。学校に行く為には余り遠い店舗では学業に支障が出るので、近い店を希望。自分達は奨学生の中でも一番早い組なので、一番先取りができると聞いているので、最低でも都内の販売店に入れるはず。そう思っていた。

だが、現地で聞いた言葉は「君達は三陣目だ」との事。
愕然とした。つまり、条件のよさそうな販売店は既に入る学生が決まっているという。
鹿児島の全体説明会での理事長や主任の言葉はなんだったのだろう。

何かが狂い始めていた。

決まった販売所は新横浜・港北エリアだった。少しばかり遠いが、東横線で一本だからと言われ、納得せざるを得なかった。住む場所は販売店の二階で、風呂がついている。いい場所だと言われた。最寄駅はT駅。支店なので、 本店最寄のK駅に集まれと。

「納得がいかなければ配属先を変えてもいいです、喜んでお受けします!」と奨学会全体説明では言われたが、同時に個人面談では「この時期に空いてる販売所なんかないよ。どこでもいいから適当に入りなさい」などとも言われていた。

少々遠いが、同じ学部に通う学生もいる。ここらで折れるしかないかと思い、横浜の店に行く事を決めた。
奨学会を出る頃、同じ販売店に配属される同僚がいる事に気付く。名前を国田と言った。
愛媛出身で、目黒の音楽専門学校でギター科に通うらしい。

「これからどうなるんだろうな」と不安を語りながらK駅まで向かう。
K駅へと着き、徒歩で販売店まで。
売店に着き、門を叩く。ほどなくして誰か出てくる。金髪や長髪の若いお兄さんがガラス戸の向こうに見えた。どうやらこれから先輩方と呼ぶ連中らしかった。
年配の女性が現れて先輩に促す。
「所長がこれから面談するから上がって」

と言う事で所長と面談する事となった。
奨学会事務所でもちらりと会った所長は自分達よりも早く販売所に帰ってきていた。

所長と面談を終え、そのまま夕食へ。

周りには知らない人ばかり。そんな中食べるカレーのあのうまいともまずいとも言えない不思議な味は忘れられない。その時に先輩1人と何か話したのを覚えている。三義とか言ったっけ。

食事後、金髪の先輩に案内されてアパートへ。
ここでパンフレットの内容を振り返ってみよう。

■奨学生パンフレット
フローリング 1Rアパート。UB。

■実際の住む部屋
木造5畳。風呂無しトイレ共用。床が響く仕様。ラジカセをつけると隣に響く仕様。押入れに穴が開いていて隣部屋が見える仕様。窓から東横線のホームが見える仕様。電車でアパート全体が終電まで振動する素敵仕様。


ある程度は覚悟していたが、ここまでひどいとは思わなかったよママン。

途中から気付いた事がある。
配属店は学校に近い方のT支店になるはずだったのに、気がついたら遠い方のK店配属にいつの間にかすり替わっていた。T支店なら風呂もあったし、部屋も6畳+@の今よりはいい部屋だったのに。一体どうしたというのだろう。

ゆっくりと運命の歯車が狂ってきていた。